控えめ過ぎる二十一箇条要求
2ndシリーズ⑨「平和ボケ」日本の幕開け
日本の軍部独走・侵略史観に基づく悪玉扱い、逆の「日本は悪くなかった、悪いのは周りの大国だ」という日本小国史観、海外大国による外圧・陰謀史観。これらの歴史観はすべて間違いだ。『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』を上梓した倉山満氏が満洲事変の真実に迫る!
■「二十一箇条要求」という言葉はプロパガンダ
中華民国は大戦勃発の五日後に、欧州大戦中立宣言をしています。英仏露から見て、大日本帝国と中華民国がどう見えるか、一目瞭然でしょう。日本に対しては「もっと貢献してくれ」と駆け引きをしてくるのですが、同盟国であるのは間違いありません。かたや中華民国は、ただの他人です。
そうしたさなかに起きたのが、「対華二十一箇条要求」です。これまた外交史家からは、悪名高い二十一箇条要求を中華民国に突きつけ国際社会を刺激した、と非難されます。時に火事場泥棒呼ばわりされます。しかし、実態はどうだったでしょうか。
まず、「二十一箇条要求」という言葉がプロパガンダです。実際は、十四箇条の要求と七箇条の希望です。
十四箇条の要求で日本が何を言っているかというと、国際法を守れという要求です。残り七箇条の希望で、日本人顧問を雇えとか、多少虫のいいことを言っていますが、当時は帝国主義の時代ですから、あたりまえの話です。
外交の大原則としてチャイニーズになめられたら、何をされるかわかりません。力で抑えつけておかなければ、自国の居留民の保護すらできないような凶暴な連中が相手ですから当然なのです。
英露仏は第一次大戦の日本の同盟国ですから、二十一箇条要求は「火事場泥棒だ」とか言いながら、それでも「どうぞ、どうぞ」です。火事場泥棒と言うのであれば、スターリンであれば国の三つくらいは持って行きかねない状況です。「日本はこの程度か?」と言われるでしょう。
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